諏訪大社・下社の門前町と温泉の宿場町として栄え、街道随一の賑わいをみせた信州・下諏訪温泉。
中山道と甲州街道の分岐点に位置する桔梗屋は、江戸時代は元禄三年、本陣前の旅籠として開業したのが始まりで、それ以降三百年の歴史と伝統を誇っております。

和宮様は弘化3年(1846)120代天皇、仁孝天皇と権大納言橋本実久の娘、経子様との間
に第八皇女としてご誕生されました。
ところが父君は突然の病で宮様のお生まれになる数ヶ月前崩御され、母君は薙髪され「観行院」と号し宮中を退き、橋本邸で宮様の養育にあたられました。
宮様は幕府の朝廷融和、反幕府運動の緩和策として、「公武合体」と言う名目で十四代将軍、徳川家茂に降嫁されることになりました。 文久元年(1861)10月20日のことでございます。この宮様の徳川家へのご降嫁の行列の際に中山道を下り、11月5日、下諏訪宿へお入りになりました。
宮様と側近の上臈は本陣にご宿泊され、母君の観行院とお付きの中臈などは「桔梗屋」へお泊りになりました。
(橋本邸ですくすくお健やかにお育ちになった宮様のご様子は、又、機会があったらお話し
たいと思います)
 

和宮様の道中の食事は各宿に「御料理物宿々有無書上達書」の提出が命じられ、各宿は準備できる食材を提出しました。 これらの資料をもとに、献立が立てられ、京より調理道具一式、器、食材を持ち賄(まかない)場を設け、膳が作られました。従って、下諏訪宿には献立資料は一切ありません。

幸い、「御賄役人」が書き綴った文献資料を入手できましたが、食材を書き上げるのみで、膳再現にあたり、文献解読から始まり、調理法、味付、盛付など作成者の推測の域を出ません。
母君観行院様の膳は、桔梗屋で和宮様と同じ一汁四菜で、お味付も器も当時のものをお出ししたと伝えられております。